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地酒みゆきやがおもう 現世の蘇りの地 熊野  ≪黄泉(よみ)帰り≫

「蘇り」「浄化」「清浄」

現世の蘇りの地 熊野

現世の蘇りの地 熊野  ≪黄泉(よみ)帰り≫

笹の滝 熊野には、今の私たちの心の中から薄らいでしまっている。消えかけようとしている。失われようとしている。日本のスピリチュアル(精神性)が今なお色褪せずに伝承されている地でもあります。
◎今回熊野を訪れていいただいた目的は?
遠路はるばる時間をかけ熊野においでいただいた方々に、今回の熊野においでいただいた目的をお聞きすると「熊野詣」「お詣り」という言葉はよく耳にいたしますが、 「蘇り」「浄化」「清浄」という具体的な声をほとんど聞くことはありません。
熊野に住む民として、また公のホームページなどにもトップに掲げられてるにも関わらず「蘇り」「浄化」「清浄」という声の少なさに、とても残念に感じ大切なキーワード を私なりにお伝えできればと思っております。
◎未来に向かう前に五感で感じてみてほしい。
これからみなさんが未来に向かう前に、2000年前から今とは別のところで大切に伝承されてきたコトが熊野には未だたくさん存在しています。 それらにまずは、目を向けていただき、向き合ってみていただき、寄り添っていただくことも熊野らしさをより堪能していただくことにつながり、今回の旅の在り方がより充実したものになって いただければと思っています。 (原点回避)
古き良き時代の先人たちの想いが薄らいでいる時代だからこそ、私たちの意識の中に少しだけでも戻していただき、「心の潤い」「心豊かさ」がある文化性を織り込んだ良き未来を自らつくられていくきっかけ、 気づきの旅にしてはいかがでしょうか。
◎熊野の自然、神様、仏様は、日本人としての心の感性を目ざめさせてくれます。
今でも熊野の原風景は、樹木が鬱蒼と生い茂る秘境の地。熊野は、かつては「黄泉の国(天国)」と通じていると信じられてきました。 多くの人々が黄泉の国に詣で、生まれ変わって現世に戻るプロセスを 経たのでしょう。熊野の神様、仏様は、仲が良くそれぞれを認め合いながら共生していたと聞いています。(神仏習合)  現世で生きていると私たちは人、モノ、お金・・・さまざまなコトとご縁が生まれます。 うれしいデキゴト、楽しいデキゴト、喜びのデキゴト・・。
しかし良きデキゴトばかりだけではなく嫌なデキゴトは避けたいと思いながらも自らの鍛錬が足りず生まれてしまう、嫌なデキゴトを受けてしまう。 それらの負の精神的な遺産、できれば背負うことなく、これからの人生を歩みたいと願うところではないでしょうか。今回の旅でせっかく熊野の神様、仏様とのご縁が生まれます。 あなたがこれまで背負ってきた負の精神的な遺産を持ち帰りすることなく、お帰りの際には心身ともに是非荷を下ろして軽くしてお帰り下さい。

その願いをかなえてくれる熊野の神様、仏様。≪現世の蘇り / 黄泉(よみ)帰り≫

熊野の神様、仏様は、とても寛容さがあり、信不信、浄不浄、老若男女、身分の差もなく、神と仏、生と死が混沌と存在する「熊野」の神様の寛容さの前で、これまでの人生の歩みの中で残念ながら生まれて しまった。出会ったしまった今なお、あなたが背負っている負の精神的な遺産(仏様はこれらの負の財産を埃(ほこり)といわれる。)を熊野の神様、仏様にお預かりをしていただき、自らを浄化、 清浄し蘇っていただき、「あなたがあなたらしく煌めく未来」への再スタートを迎えていただく機会にしていただければ幸いです。
◎私は神様、仏様の前で、今はこうやって手を合わしいます。
合掌 以前の私は、神様、仏様の前で手を合わせるとき「なにかお願いゴト」をしご利益を求めていました。ある時、お偉い山伏さんに「私にひとつだけ教えていただけることありませんか?」とお聞きし たときに伝えてくれたこと。「あなたも神様、仏様の前で手を合わせたりしますよね。」そして「食事をする前も“いただきます”と手を合わせますよね。」 手を合わせる行為は「ありがとう」 という意識と感謝の心を、まずは心に描くようにしてみてはいかがかといわれました。仏様の前で「手をあわせる行為は、右手は仏様であり左手は自分。両手を合わせることは仏様と自分が一体になることを意味し、 仏様の清らかな力で自らが浄化されるということだそうです。」食事をする前の「いただきます」と手を合わせる意味についても伝えていただきました。私たちは、自然の力、恩恵が生み出した食材の命を口にして 生きています。それらを口にする前に今一度「感謝」と「身を清めて」から食事をとってみてはいかがかと・・・。
それ以後は、お願いごとは極力さけ日頃のいろいろなことに「ありがとう」「感謝」をするようになりました。しっかり意味をわかって、しっかり向き合ってみるとこれまでの形だけの合掌とは違う素敵なデキゴトに 出会えたり、自らの鍛錬のなさに気づきが生まれたりしています。
◎私は神様、仏様の前で、今はこうやって埃を流しています。
那智の滝 ある方からは、熊野の神様、仏様の前で手を重ねあわし、息を吐きながらこれまで背負ってきた埃を神様、仏様におあずかりしていただき、心身ともに浄化、清浄し蘇りをし再スタートに立つこともいいよと伝え てくれました。例えば、那智の滝で手を合わせるとき、滝にうたれている自らをイメージしながら、これまで積もってしまった埃を霊水にうたれ流し元の自分らしいしい煌めきを知り戻し心身ともにスッキリとさせ ています。また「水」は浄化、清浄する力がとても強いといわれています。
また那智の滝に向かい階段を下るとき、滝を囲む山々から「感じるもの」があります。それらは、これまで多くの民が那智の滝の神様にこれまで背負っていた埃をおあずけしていったものだともいわれています。 また熊野には、滝や川だけの浄化にとどまらず、護摩をはじめとする「火」「風」「土」「音」・・・の浄化にも目を向けていただければ、ガイドブックにも載らないいろいろな感幸地(感煌地)もございますので、 ご縁があればお立ち寄りください。
◎浄化したあなたの背中を熊野の大自然が押してくださいます。
熊野の魅力は、樹木が鬱蒼と生い茂る深く連なる山々にあります。見渡す限りの山々、たしかにこのように連なる山々はあれど、この熊野のようにどの山にも「氣」が覆いかぶさっていることは世界的にも珍しく、 神秘的な大自然の力にも目を向けてみてください。(岩肌などがみえている連なる山々は世界的にも多く存在しています。)
神代杉 さらに熊野には、大自然がもたらした奇岩、巨岩、巨木も数多く点在しています。とくに玉置神社(奈良県十津川村)の大杉(推定樹齢1000年) 神代杉(推定樹齢3000年) 引作の大楠(御浜町推定樹齢1500年) をはじめとするすでに神として敬われている巨木。
また原始信仰のひとつである磐座(いわくら)信仰のご神体になっている奇岩、巨岩などにもお立ち寄りいただき、それらを観て、触れて、そのパワーをあなたのこれから迎える人生を後押ししていただける力にして ほしいと願います。

◎自然との共生
紀元前33年に大斎原に創建されたといわれている熊野本宮大社は、全国3000社ある熊野神社の総本山。今の位置にある熊野本宮大社は、明治22年の大水害のため水害を免れた4社を現在の場所に移しました。 明治22年の大水害の背景には、紀州の林業の拡大や開発により、豊かだった森林が伐採され、山が荒れ保水力が弱ったことが被害を大きくしたのだろうともいわれています。 その大水害を機に神様も高台移転を余儀なくされたとのこと。
こんなアプローチとして先人たちは、
座禅 2000年もの間にはきっと熊野川の氾濫も幾度かはあったのではないでしょうか。家や橋は流され田畑に被害を起こす洪水などに対しても「家や橋はまたつくればいいじゃないか」それよりも川は 「肥よくな土を運んでくれている。これでまた作物が以前に増して豊かに実ることになるだろう。」と感謝したともいわれています。
頑なに防災するよりも自然との共生を織り込んだ減災という道も織り込んでもよい時代なのかもしれませんね。(ひとたび田に畑に川からの水が入ると肥よくな土が10cm盛られるといわれていました。)

最後に

的場照幸 このご案内を「余計なおせっかい」と映る方もきっといらっしゃるはずです。私は「あなたにこのご案内をお渡したい」と素直に思ってのことです。 この行動は、一遍上人の「熊野権現のお告げ」に近い気持ちなのかもしれません。今、熊野の大地を踏みしめておられます。
「一遍上人と熊野」 についてもお読みいただき鎌倉時代の熊野にもタイムスリップしてみていただければ幸いです。 また当店は地酒屋を営んでいますが、日本酒の歴史のはじまりはたいへん古く弥生時代(一説には縄文時代とも)からだともいわれています。 「熊野」というフィルターを通すと日本酒は「発酵」ということが解明されていない時代(本格的に解明されたのは明治)には「意識をうつろにさせる飲み物は神様が醸している」 といわれ、お酒造りは大切な神事のひとつです。そこから生まれる新たな命の日本酒は、元々とても神聖な飲み物なのです。
今あなたに描いている日本酒の在り方とはちがうかもしれません。しかしこれまでとは違う向き合い方であらためて日本酒を口にしてみると、これまでとは違う味わい、 想い、デキゴトが生まれるかもしれませんね。 今一度お伝えしたいです。みなさんの今とは別のところで大切に伝承されてきたコトにも目を向けていただき、向き合ってみていただくことも「熊野らしさ」かと思っております。 お酒に限らず良き日本の伝承されてきたコトが忘れかけられている。薄らいでいる時代だからこそ、今一度、先人たちの想いを私たちの意識の中に少しだけでも戻していただき、 あなたの想いと共に良き未来をつくられていくきっかけになれば幸いです。

地酒みゆきや 的場照幸

神々の中で最高位の太陽の神様こと天照大御神にも感謝を

"人間は肉体と精神とでできています。
肉体を維持するためのビタミン剤や栄養補助食品は過剰なくらい出回っているし、それらのものに関しては、あなた方もとても敏感に反応する。 なのに、もう一方の精神を健やかに維持するものに対して、あまりに無頓着です。では、精神におけるビタミン剤や栄養補助食品に匹敵するものは何か? それこそが「文化」なのです。ですから、それが欠ければ、当然精神的栄養失調が起きます。いたずらにイライラしたり、焦りを覚えたり、落ちこんでみたり、自信をなくしたり、 理由のない怒りがフツフツと湧きあがってきたり・・・そんな経験があるとしたら、あなたの心が飢えている証拠でしょう。"
引用元:美輪明宏 公式サイト https://o-miwa.co.jp/

弘法大師堂 空海こと弘法大師が高野山に行かれる前に、1年間修業したお寺であり弘法大師が創建したといわれる由緒ある歴史の古い寺。那智・阿弥陀寺からの日の出。 登ってあたりまえすぎる太陽。仮に太陽がなくなったことをイメージしてください。 私たちの今ある暮らしが失われます。先人たちは、あたりまえをあたりまえとは捉えずいたことの向き合い方にも目を向けることも大切ではないでしょうか。水、火(エネルギー)、風(空気)、自然・・・・
神々の中で最高位の太陽の神様こと天照大御神にも感謝を・・・合掌

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