全国の地酒

店長経歴

店長の経歴

性別 男 おかあちゃん1人、子孫4人、孫1人、ばあちゃん1人、愛人なし。

日本酒との出会いは、高校生になり最初にバイトをしたのが酒類問屋でのバイト。
その後、夏休み、冬休み、春休みになるたび街のお酒屋さんで社会人になるまでアルバイトをやってきました。

その頃の思い出といえば、ビールはキリンラガー、日本酒は月桂冠・大関・白鶴・・・といった大手灘銘柄、その頃に第一次焼酎ブーム、麦焼酎でしたね。一斉を風靡したのが下町のナポレオンということでいいちこが大ヒット、二代焼酎として二階堂もすごかった。麦焼酎ブーム・・・・

キリンはラガー王国で、サッポロは黒生、サントリーは純生、アサヒは???????生・・・・今のスーパードライのスーのかけらもなかった。ただ、まだまだ日本の景気もよく、行け行けムードの頃であった。

日本酒の世界でいえば、灘製品全盛で、三増酒全盛時代。

その後、3年あまりこの業界から離れ社会人として異業種で働いていたが、再び、以前バイトで勤めていた街のお酒屋さんに従業員として働く。
その頃の自分は、サザエさんによく出てくる三河屋さんみたいな仕事をしていました。
その頃に、思い浮かんだのがただ漠然とであったが酒類小売業をやりたいという夢をもった。その為に、日々、昔でいう丁稚みたいに朝、開店から夜、閉店まで頑張っていました。この時期に、商いの奥深さを教えられる。(今は亡き、その店の店主に感謝・・・合掌)

そして、県下で有数の酒類問屋で営業マンとして勤務するようになる。
その頃に、地酒と出会う。

最初に口にしたのが八海山普通酒でした。
何と喉越しの良いお酒だ!とびっくりした。その頃の幻のお酒といえば今でも、プレミア酒として君臨している越乃寒梅・・・雪中梅・〆張鶴・峰乃白梅・・・・・そして名だたる新潟酒全盛の時代。そう淡麗辛口ブーム。

その頃から、地酒というものに強く引かれていきました。
色々な地酒の本を読み、ふと本屋で出会った一冊の劇画、それが夏子の酒でした。その本を1冊1冊読んでいくたびに地酒に引かれていきました。

美味しいお酒の裏側には、農家の人々の情熱、蔵人の情熱や伝統と伝承された技、自然の恵み・・・・と色々な人間ドラマや大切さなどを知り始める。そして、憧れのお酒もみつかる。それが清泉・亀の尾である。

そう、今、皆さんが龍神丸を飲みたいという思いにかられているように、その当時の自分と重なる・・・ゆえに皆さんの気持ちも理解できる。その頃から新潟に年に一度は出向き、幻の酒探しが始まる。

その当時は、ネット検索なんてないわけですから、色々な情報を書物等で集めるしかなかった。
とりあえず地元に行けば・・・何とかなるだろう・・・・そんなに甘くはなかった。憧れの酒を見ることさえできないで、何回帰っただろうか・・・・片道12時間の軽自動車の旅。

ただ、その中で出会うお酒屋さん、また、出会う名も知らない地酒・・・
そんなお酒を飲み重ねていくうちに、不思議と日本酒の美味しさも理解していく自分がいることが感じられた。またその反面、酒屋さんが教えて頂けることが理解できないことも次々と生まれていった。米というひとつの原料から生まれる日本酒の奥深さを知る時期でもありました。

また、ひとつのお酒が生まれるにあたり、農家の方々から蔵人、酒屋さん・・・そして、2500年もの昔から伝えてくれた名もなき人達・・・数えきれない多くの人とのかかわりも見え始め、この美味しさは数多くの人の想いが、長い時間をかけて、ひとつになったものなのだと知ったとき、感動とともに1本のお酒を大切にしなくては・・・という思いが自らの心に宿りました。
そして、すべての源は、大地と天の恵みから始まっているものだとも気づかされました。

その頃から、酒屋の夢は地酒屋という具体的な形が見え始めてきた。
8年間の酒類問屋を退職。
そして、地域では最初のお酒のディスカウトストアーとなるお店の雇われ社長として再就職。
ここで、店内に地酒コーナーを設け、自らが選んだ地酒を販売・・・・そして、色々な販売や経営に関するノウハウを勉強させて頂く。

この時に、一般酒販店を営もうと志していたが、ひとつの転機の中で、その当時、県下でもっとも大きなディスカウトストアーの経営に参加できるチャンスが訪れました。

最初は、業界の裏側を見て触れて「すごい!」と感じていた。
けれど自らがお酒のディスカウトストアーの経営に携わり、ディスカウトストアーの脅威を知るはめになり、目指していた地酒屋の夢は遠のいて行った。

そして、ある時に目指す方向性を修正・・・を余儀なく迫られる。

自らが志していた地域における日本酒の魅力の伝え方を変えようと・・・・そう、出した結論は飲食業を営み地酒を扱い、日本酒の良さを伝えようと・・・・・。そしてそんな思いを抱き、今までと違った生鮮三品も取り扱う業務兼スーパーのお酒屋さんに勤務。
その時期、時間を見つけては飲食店経営・調理の技量の勉強。

そして、その思いから3年ついに決断時。
34歳、飲食業での独立を目指す。

家庭環境は、4人の子供たちがいる。安月給で長ったらしく修業をしている時間もない。その中で開店までこぎつかなくてはならない課題の中で上京。東京・池袋でワンツーマンの指導のもと技量を身につける。
そして、なんとか飲食店主としての最低限の経営能力と技量をみにつけ帰郷。3ヶ月後飲食店を開店。

そんな中で、飲食店は順調よく発展していった。
この地域の飲食店の中では類を見ない地酒の飲める店としても評判は広がった。ただ、その中で新たなる課題も生まれた。

どうしても飲食店でのお酒となると値段が高くつく。
お家でお手軽に飲んで頂きたい。そんな想いを抱き、そして、行動したのが、酒類小売免許の申請(お酒屋さん小売免許)・・・・・現実、その当時は中々、酒類小売免許を申請しても許可が取れない状況。悔しい思いをしながら毎年毎年申請をし続ける。

そして、念願の酒類小売免許の取得ができました。
さあ「地さけや・みゆきや」の誕生です。

けれど、人口3万という地方都市の中で、また地酒というものが過去、中々育っていない地域特性の中で、お店としてどうやって生き伸びていくか? という課題がさらに浮上。
小さくやり、経費をおさえ生き伸びるという課題を掲げた。店舗と倉庫を合わせて3坪。
多分、日本で一番小さな地酒屋だろう。

3坪の店舗内には7面リーチインを押入れた。・・・・おっ!店舗面積の半分は冷蔵庫が占領。机を置き、陳列棚を置けば有効スペースは2畳あるかないか。
そんな中で日本一小さな地酒屋として「地さけや・みゆきや」がスタート。

さぁ、スタートしたものの中々お酒の仕入れなんてできるわけがない。それは、まず歴史もまったくなく、実績もないお店だし、ましてや人口三万人という地方都市だし・・・・・。どこの蔵元だって魅力を感じないだろう。

けれど、この街のみんなに日本酒の良さや美味しさを伝えたい。伝えないとこの地の日本酒文化は発展しない。
そんな想いの中で、私の挑戦は始まった。
色々と過去の経験を生かし仕入れルートの確保に時間を費やす。

私にある財産と言えばチャレンジすることへの情熱オンリー。それしかアピールするところがない。
それでも、お会いして、お話しして、まず理解していただけお取り引きをして頂ける蔵元さん・問屋さんに出会いながら、少しずつ積み重ねています。

いつしか、そのような蔵元さん・問屋さんそしてお客様に当店と出会ってよかったと言っていただけるよう只今、頑張っています。

そして、今は朝9時に起床、酒屋を10時開店、そのまま実店舗業務などをこなし、時間を見つけてはネット業務をしています。
そして、そのまま5時になると飲食店で一応、調理長として厨房に入って夜1時まで営業をし、それから夕ご飯、風呂に入って、一杯飲んで就寝。

互いのお店が定期日が違うためここ10年以上休んだことも私的時間を24時間なんて味わった事はありません。そんな訳で、返信がかなり遅くなることもありますが、ご考慮ください。

私の今の一番の夢は、一日中パジャマでいられることかなぁ・・・・・・。

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